長い間、このサイトに本当にブログが必要なのか、自分でもよく分かっていなかった。
普段から仕事の大半は問題解決に使っている。一般的なフロントエンドやバックエンドのタスクもあれば、画像エンコード、ブラウザの挙動、SEOの実験、インフラ障害、AIを使った開発、メディア処理など、かなり狭い領域まで掘り下げることもある。最初は単純な疑問だったものが、本番環境での問題を追っているうちに数日がかりの調査になることも珍しくない。
そこまでやったあとで、さらに数千語の記事を書く必要があるのかと思うこともあった。
誰が読むのだろう。
自分に何が返ってくるのだろう。
問題を解決したら、そのまま次へ進めばいいのではないか。
最終的には、自分なりに納得できる答えが見つかった。
こうした仕事の中には、そのまま捨ててしまうには、かけた時間と労力が大きすぎるものがある。
難しい問題の中には、気づく前から一本の記事になるだけの材料が入っている
私の記事は、たいてい「今週はブログ記事を書かなければ」と考えて始まるわけではない。
最初にあるのは問題だ。
仕事で発生することもあれば、自分のプロジェクトから生まれることもある。単純に、自分が理解できていないことに興味を持ち、納得できるところまで掘り下げることもある。
画像処理は、何度もそうした深い調査へ私を連れていった分野の一つだ。
最初の課題だけを見ると、拍子抜けするほど簡単に聞こえることがある。
この画像をもっと小さくしたい。
AIモデルに頼めば、そのためのスクリプト自体はほとんど待たずに出てくる。
しかし、コードが出てきたことと、優れた画像処理パイプラインができたことはまったく別の話だ。
最初の実装では、JPEG、PNG、WebP、アニメーション画像の違いが考慮されていないかもしれない。すべての画像に同じ品質値を使っているかもしれない。不要なアップスケールを行うかもしれない。透過を正しく扱えないこともある。削除したかったメタデータを残したり、逆に残したかったメタデータまで消してしまったりする可能性もある。見た目の劣化を測らず、ファイルサイズだけを小さくしている場合もある。
10個のテスト画像では完璧に動いたのに、規模を大きくした途端に非常に高くつく失敗になることもある。
スクリプトがエラーなく動くことと、安心して任せられるシステムであることは同じではない。
私の記事の多くは、この違いから生まれている。
私のAI活用は「ChatGPTに聞けば答えが出る」というものではない
こうした問題に取り組むとき、私は有料版のChatGPTをかなり使っている。
一つの会話を数日、場合によっては数週間使い続けることもある。質問して、提案された方法を試し、結果を返し、前提を疑い、コードを確認する。新しいエッジケースが見つかれば実装を変え、もう一度動かし、結果を比較する。
それを何度も繰り返す。
特に深く掘り下げたテーマでは、一つの大きな問題に対する作業時間が100時間を超えたこともある。
もちろん、100時間ずっとAIモデルが魔法のように正解を見つけるのを待っているわけではない。
実際には、かなり地道な反復作業だ。
典型的には次のように進む。
- 問題を説明する。
- モデルが最初の解決案を出す。
- 実際のデータで動かす。
- 弱い部分、非効率な部分、あるいは明らかに間違っている部分が見つかる。
- その結果を会話に戻す。
- アプローチを修正する。
- もう一度試す。
- 別のエッジケースが見つかる。
- また繰り返す。
このサイクルが何十回も続くこともある。
最終的に価値を持つのは、最初に生成されたスクリプトではないことが多い。
その周りに積み上がった失敗、測定結果、修正、判断のほうが重要になる。
AIで最初の案を作るコストは下がった。でも検証のコストは下がっていない
AIが書く技術コンテンツについての議論を見ていると、少し単純化されすぎていると感じることがある。
確かにAIモデルは、それらしいチュートリアルを非常に短時間で作れる。
同時に、一見するとまったく問題がなさそうなのに、本当に重要な場面で間違うコードも作れる。
狭くて難しい技術課題では、最初に出てきた「それらしい答え」をそのまま使いたいとはほとんど思わない。
実際に動かしたときに何が起きるのかを確認したい。
画像処理パイプラインなら、出力ファイルのサイズと見た目の品質を確認したい。入力形式が変わるとどうなるのかも知りたい。特殊な画像サイズ、アルファチャンネル、アニメーション、壊れた入力も試したい。
そして、その実装が暗黙のうちに何を前提としているのかも理解しておきたい。
最終的にそのスクリプトを巨大な画像コレクションへ適用するのであれば、なおさらだ。
1000万枚の画像という例は、あえて極端な数字を使っている。私の特定のデータセットが1000万枚あるという意味ではない。
ただ、問題の本質を説明するには分かりやすい。
ごく小さな系統的なミスでも、1000万回繰り返せば、もう小さなミスでは済まない。
コードを生成するコストは大きく下がった。
しかし、そのコードを大規模に実行して本当に問題ないのかを判断するコストまで、同じように下がったわけではない。
チャットは研究材料であって、完成した記事ではない
長い調査が終わるころには、チャット履歴にかなりの量の情報が蓄積している。
たとえば、次のようなものだ。
- うまくいかなかったアプローチ。
- あとで置き換えたコード。
- 役に立ったベンチマーク結果。
- ログ。
- 途中でしていた誤解。
- その後の修正。
- 分かりにくい挙動についての説明。
- 複数の方法を比較した結果。
- 最初は考えていなかったエッジケース。
- 最終的に採用した判断基準やルール。
こうした情報を一つの非公開チャットの中だけに残してしまうのは、もったいないと思う。
だから、そこから役に立つ部分を取り出して記事にする。
ただし、記事はチャットの書き起こしではない。
実際、会話の大部分は記事にする必要がない。
役に立つ技術記事にするには、もう一段階の整理が必要になる。何も教えてくれない行き止まりは削る。一方で、重要なことを理解するために必要だった失敗は残す。主張を確認し、時系列を組み直し、実際に観測したことと、その理由についての説明を分ける。
そして最後に、別の開発者が本当に使える形まで整理する。
この編集工程は重要だ。
AIはそこにも参加できる。
それでも、根拠そのものは実際に行った作業から生まれる。
画像処理から、「単純な問題」がどれだけ深くなり得るかを学んだ
自分の仕事の中では、画像最適化が一番分かりやすい例だと思う。
かなり長い時間取り組んできた結果、最初は単なるエンコーダー設定の話に見えていたものが、徐々にもっと大きなシステム設計の問題に変わっていった。
少し考え始めるだけで、疑問はすぐに増えていく。
入力画像の形式は何か。
アニメーションなのか。
画像サイズは変更すべきか。
品質値をどう決めるのか。
画質の低下を許容できるかどうか、何を指標に判断するのか。
まったく性質の違う画像に、同じ品質のしきい値を使ってよいのか。
不要なアップスケールをどう防ぐのか。
どのメタデータを残すべきなのか。
透過情報はどう扱うのか。
生成したファイルをどう検証するのか。
ファイルサイズが小さくなったとして、その削減量は追加のエンコードコストに見合うのか。
入力される画像の傾向が変わったらどうなるのか。
だから私は、5行程度の「究極の画像最適化スクリプト」をそのまま信用することはない。
画像を処理するだけならできる。
でも、自分がどんなトレードオフを受け入れているのか理解したうえでパイプラインを作ることとは別だ。
現在のような画像中心のワークロードでは、私はまずAVIFを検討することが多い。
ただし、これはあくまで私が扱っているプロジェクトに基づく判断だ。世界中のすべてのWebサイトが、明日から古い画像形式を捨てるべきだと言っているわけではない。
ブラウザやシステムの互換性、元画像の性質、処理時間、エンコードコスト、配信方法などによって、最適な答えは変わる。
重要なのは、どの形式が「最強」かを決めることではない。
自分のワークロードを十分に理解したうえで、理由を持って選択できることだ。
動画処理についても、いずれ同じくらい深く掘り下げたいと思っている。
まだそこまでは到達していない。
でも、それもこの分野の面白いところだ。
一つの問題の底まで来たと思うたびに、その下にもう一段階ある。
そして、日本のサイトがこのブログを見つけてくれた
こうした記事を公開するとき、特別な見返りを期待していたわけではない。
このブログから、意味のある金銭的な収益が出ているわけでもない。
続けている理由は単純で、この作業そのものが好きだからだ。そして、役に立つところまで掘り下げた結果を、古いチャットやターミナル履歴の中へ消してしまいたくない。
その後、本当に予想していなかった出来事があった。
2026年9月17日、日本のレバテックフリーランスが「成長意欲の高いエンジニア必見!スキルアップにつながるおすすめブログ」という記事を公開した。
レバテックフリーランスの記事では、複数の技術ブログと並んでJSVarも紹介されていた。
レバテックは日本でIT人材やキャリアに関するサービスを幅広く展開しており、レバテックフリーランスはフリーランスのITエンジニア向けに案件紹介や支援を行っている。
私にとって興味深かったのは、単に被リンクを一つ得たことではない。
自分とは関係のない外部の編集チームが、私の仕事のどの部分を「他のエンジニアに紹介する価値がある」と判断したのかを見ることだった。
JSVarの紹介では、特に3本の記事が取り上げられていた。
一つは、本番開発でCodexとTypeScriptの相性が良いと感じた理由について書いた記事だ。TypeScriptの型やコンパイラからのフィードバックが、生成コードの問題を早い段階で発見するためのガードレールとして機能する、という内容だった。
もう一つは、ChatGPTを使ってブログを20言語に翻訳し、各国から検索経由の訪問者がローカライズされたページへ直接来るようになった経験についての記事。
3本目は、AIで生成したSEOページを1万本公開した実験についての記事で、最終的には「簡単に検索流入を増やせた」という成功談ではなく、失敗から何を学んだかを書く内容になった。
この3本が選ばれていたのは少し面白かった。
テーマ自体はかなり違う。
でも、共通していることが一つある。
どれも、自分が実際にやったことをもとに書いている。
Levtechがどうやって私を見つけたのかは分からない
ここには、とても分かりやすくて魅力的なストーリーを作ることもできる。
私は日本語を話せない。
私のサイトには日本語版がある。
日本のエンジニア向けメディアがそのサイトを見つけた。
だから、日本語版を作ったことがきっかけでLevtechに見つけてもらえた。
ただし、それを証明することはできない。
日本語ページがきっかけになったのかもしれない。
検索から英語の記事へたどり着いたのかもしれない。
誰かがリンクを共有したのかもしれない。
まったく別の経路だった可能性もある。
どの経路で見つけてもらったのかを確認できるデータは持っていない。
だから、この出来事を都合よく「多言語SEOの成功事例」に仕立てるつもりはない。
確実に言えることは、もっと単純だ。
私はブログを複数の言語で公開した。
その後、日本のメディアがその中に紹介する価値を見つけ、編集記事の一つとして取り上げてくれた。
それだけでも、自分にとっては十分に良い結果だ。
特に嬉しかったのは、多言語化自体も、最初はかなり手間がかかる一方で、どれだけ成果が出るのか分からない実験だったからだ。
紹介されたことには、外部からの独立した評価という意味があった
もちろん、ここでいう「評価」は、レバテックが私の記事の正しさを保証してくれた、という意味ではない。
私のコードベースを監査したわけでもないし、記事に書いた実験をすべて再現したわけでもない。
私にとって意味があったのは、もっと素朴なことだった。
世界の反対側で、自分ではその言語を使って直接話しかけられない読者に向けて記事を作っている人が、私の仕事に「自分たちの読者へ紹介するだけの価値がある」と判断してくれた。
私は彼らに売り込んでいない。
もともとの記事も、レバテックに載せてもらうために書いたものではない。
日本の特集記事に掲載されるとも思っていなかった。
だからこそ、この出来事には意味があった。
非常に狭い技術テーマの記事でも、公開する価値を持つために何万人もの読者が必要とは限らない。
必要なのは、その情報を本当に必要としている人にとって役に立つことだと思う。
2026年に開発者はブログを始めるべきか
私の場合、答えは「はい」だ。
ただし、一つ条件がある。
本当に書き残したいことがあること。
「すべての開発者は個人ブランドを作るべきだ」と誰かに言われたから、という理由だけで技術ブログを始めることは勧めない。
放っておいても収益が入ることを期待して始めるものでもないと思う。
すでに優れた公式ドキュメントが存在する技術について、一般的な説明を増やすためだけにブログを書く必要もない。
でも、日々の仕事から「自分が最初にこの問題にぶつかったとき、こんな記事を見つけたかった」と思える情報が生まれているなら、話は別だ。
それを書けばいい。
変な本番障害について書く。
想定より3日余計にかかった最適化について書く。
自分の予想を裏切ったベンチマークについて書く。
きれいに見えたのに失敗した設計について書く。
最終的な実装だけではなく、なぜ最初に思いつく単純な実装では足りなかったのかも書く。
そういう情報は、一般論だけから簡単に作れるものではない。
AIによって、書く材料は減るどころか増えた
AIが普及したからといって、技術ブログが不要になったとは思っていない。
私の場合は、むしろ逆に近い。
最初の実装案や説明を得るまでの時間が以前より短くなったので、より多くのアイデアを試せるようになった。
ただ、試行錯誤の速度が上がれば、そのぶん確認すべき材料も増える。
別の実装案が増える。
ログが増える。
ベンチマーク結果が増える。
失敗した試行も増える。
そして、どれが正しいのか確認しなければならないものも増える。
そうした材料は、誰かが「何が事実で、何が重要なのか」を判断して初めて価値を持つ。
AIとの会話が500メッセージあったからといって、それだけで知識になるわけではない。
実際のデータで何度も試し、最終的に使えるところまで残ったスクリプトと、なぜその前の20バージョンでは駄目だったのかという説明なら、知識として残す価値がある。
私がブログに残したいのは、この違いだ。
公開することで、役に立った仕事を消えない形にする
技術的な仕事の多くは、驚くほど簡単に消えていく。
難しいバグを直す。
ターミナルを閉じる。
デプロイが成功する。
チャットは履歴の下へ流れていく。
半年もすれば、なぜ最終的な実装がその形になったのか、自分ですら忘れているかもしれない。
記事を書くと、それが変わる。
まだログや測定結果が残っているうちに、どう考えてその結論にたどり着いたのかを整理し直すことになる。
検索できる形で残る。
将来、自分自身が同じ問題に出会ったときにも参照できる。
そして、ときには自分がまったく想像していなかった場所まで届く。
今回のように、自分が話せない言語で記事を書いている技術メディアに見つけてもらうこともある。
このブログを続ける理由は、今でもそれほど複雑ではない。
学ぶことが好きだ。
ものを作ることが好きだ。
最初は簡単に見えた問題を、必要以上に深く掘るのも好きだ。
そして、役に立つ答えにたどり着くまで数十時間、場合によっては100時間以上かけたのなら、その答えをチャット画面の中だけで消してしまいたくない。
私にとっては、それだけで公開する十分な理由になる。
あなたの仕事からも、同じように苦労して得た知識が生まれているなら、それはあなたにとっても、書き残す十分な理由になるかもしれない。